雪埃をもうもうと上げながら、あたしの名前を呼びながら近づいてくる影を、あたしは驚いて凝視した。
「り、鈴音ぇーーーーーーっっ!」
「ぎゃあっ」
 雪道を物凄い勢いで駆けてきたオッサンにいきなり飛びつかれ、あたしは雪の上に倒れた。
「おっ、お父さん!?」
 そのオッサンは勿論痴漢などでなく、あたしの実の親父殿。 部屋着そのまんまの格好で、頭や肩に雪が積もってしまっていて、どれだけ寒かっただろうと思うと 胸が痛んだ。
「さ‥探したんだぞぅっ‥!心配したんだぞぅっ‥!」
 そう言うなりあたしにしがみついたまましくしくと、男泣きとは嘘でも言えない程弱々しく泣き出して、 あたしは心底人気がなくてよかったと感謝した。とは言っても、いつまでもしがみつかれたままじゃ、 色々と困る。っていうかお前に抱きつかれても嬉しくない。
「いい加減離れぃっ!」
 言いながら勢いよく引きはがす。親父は涙目のまま、雨の日の捨て犬のような目でこちらを 見上げてきた。ごめん、オッサンの上目遣いは可愛くないからやめて。
「正座ーっ!」
「はいっ!」
 目の前の親父にそう号令を掛けると、条件反射のようにそのまま正座した。うん、教育のたまものだ。 親父が馬鹿なことをした時は、いつもこうやってあたしがお説教するのだ。他の家の常識も、 うちの家では通用しない。
「お父さん!」
 厳しい声で呼ぶと、親父はびくびくと目を瞑って、お説教を受ける姿勢をとった。 それをまっすぐ見つめたあたしは、冷たくしめった空気をひゅっと吸い込んで。
「ごめんっ!!」
 力一杯謝りながら、強く頭を下げた。でも、勢いが強すぎて、頭突きを喰らった親父が 軽く吹っ飛んでしまった。雪の上に仰向けに転がった親父は、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で こっちを見た。その親父に向かってあたしは、再度声を出す。
「家出してごめん!」
 とりあえず、どうしても、言わないといけなかった。寒い思いをさせてごめん。子供っぽい真似してごめん。 そう謝らなきゃ行けなかった。だけど、こっちにも言い分ってもんがあるんだってこと、ちゃんと伝えなきゃ。 あいつに言ったように。
「でも、あたし本気で傷ついたんだぞ!そんな大事なこと決めるときくらいは、先に相談しろばかっ!」
 こっちの憤りも、きちんと真っ向からぶつけてやる。そうすれば、きっと全てが上手くとはいかなくても、 悲しいすれ違いの可能性が無くなる。時にはこらえることも必要だけど、あたしの場合は、 こらえ所を間違っちゃったんだ。あの瞬間のあたしは、多分世界で一番の馬鹿。  あたしが少し涙をにじませながら本音をぶちまけたら、親父はさらに驚いた顔をしてから、 また泣き出しそうに顔を歪めた。
「ごごごごご、ごめん、鈴音っ!父さん、お前が喜ぶと思ってました!‥‥それにたまには娘に秘密もつくってみたかったんです!」
「はぁ?そんな理由で?」
「本当にごめんなさいっ!」
 そんなに平謝りしなくても、実はそんなに怒ってない。 あたしは思い切り顔をしかめたけれど、内心では納得して、少し反省したんだから。 確かに、自分の全てを娘に把握されるのも、父親としてたまにはむっとくることがあったのかもしれない。 親子だからって、時には線を引かなければいけないこともある。 自分だけの秘密を、持っていたかったのだろう。親父の場合は、その秘密のつくり所を間違えた。 あぁもう、親子そろってなんて馬鹿なんだ。不器用にも程がある。
「もうホント、なにそれ‥あははは」
 そう思ったら今度は笑えてきて、戸惑う親父の肩をばしばし叩きながら泣き笑いした。 所詮は馬鹿親子の、すれ違いから生じた下らない親子げんか。 でも、あたし達にとっては、とてもとても大事な。 そしてそれに巻き込まれたあいつは、とんだ災難だろう。あの、赤い服のあいつは。
‥‥‥あ、そうだ!あいつ!三太にお礼言わないと!
「おい三太!‥‥‥ってあれ?」
 そこにさっきまでいたはずなのに、振り向くと三太は居なくなってた。
「サンタ?」
 怪訝そうに訊いてくる親父を無視して雪の上に立ち上がる。
「うそ!何でいないの?まだお礼言ってないし二つ目の頼みも言ってないのに! おーーい三太!あほ三太!どこだよー!」
 手を口に当てて呼んだのに、雪の絨毯に声が吸収されるばかりで、三太はどこからも現れてくれない。 あ、そうだ。親父なら見てたかも。三太がどっちに行ったか!
「ねえ、赤い服のサンタクロースみたいな格好した男、いなかった!?」
「え?そんな奴、見なかったけど。お前ひとりでずっと雪の上に居たじゃないか」
 うそだ。うそだ。そんな筈ない。さっきまで確かに、ここで情けない声出しながらソリの破片を 拾ってたんだ。そうだ。雪の上にそりの破片があるはず‥‥って、全部拾っちゃったんだそういえば! ああ、証拠が何もないよ。でも、幻な筈ない。確かに屋根の上で言い争いしたんだ。 そりで一緒に下り坂を滑ったんだ。あいつが幻だなんて、絶対に思わない。
「っていうか、そのコートどうしたんだ」
 言われて、初めて思い出した。そうだよ、証拠あるじゃん!あたしが着てる赤いコート。 あたしは羽織っていたコートをとって、高く持ち上げたまま振った。
「コートまで置いてどこ行ったんだよ三太ー!」
 あれがもし、本物のサンタクロースなら、空に向かって叫べば、届くはず。 願う子供の声を聞き逃さないのが、サンタの役目なんだから。 もし聞こえたんなら、約束通りちゃんと叶えろよ。サンタは子供の夢を叶えるためにいるんだから。 あたしが大人になったらサンタが見えなくなるっていうなら、あたしは一生子供でいよう。 悪い意味でなくて、いくつになっても、子供の心を忘れないように。 ねえ三太。あたし、今はちょっとは良い子になったよね?
「取りに来ないと、これ借りパクしちゃうぞー!だから、」
 そこで一瞬言葉を切って、二つ目の頼みを空に向かって力一杯叫ぶ。
「来年のクリスマスも、プレゼント持って、コートとりに来ーーーーい!」
 今なら確信を持って言える。あいつ、本当にサンタだった。 もし、バイトだったとしても、少なくともあたしにとっては、クリスマスにちゃんと素敵な プレゼントをくれた本物のサンタクロースだったんだ。
 もう雪は止んでいて、薄くなった雲の切れ間に見えた空から、小さく返事が聞こえたような気がして、 あたしは頬を緩めた。

 それは、去年の出来事。 だからあたしはあいつの置いていった包みから出て来たマフラーを巻いて、 今年のクリスマスも、屋根の上であいつを待つ。
こんどは、新しくできた義弟と一緒にね。
―ほら、鈴の音が聞こえてきた。






Fin.





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